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夏休みの読書

この夏に読んだ(再読)本はみな前の戦争ことを書いたもの。

あらしの前、あらしのあとは、中学生のころ読んで以来,三回目ですが、

あらしの前は、オランダに住む普通の子だくさんの一家が、戦争に巻き込まれていくもの。

ドイツ軍が入って来るはずなど無い、と父さんは思っているが、

アムステルダムにいる姉さんは危機感を持って家族に防空壕を作るように説得します。

ドイツから逃げて来て一緒に住んでいるユダヤ人の少年をアメリカに逃がすために姉さんは奔走します。

そしてあらしのあとでは、戦争で兄弟のひとりをなくしていて、心も荒んで食べ物も欠乏するなか、

子どもたちが自分の進むべき道を見つけていく話です。

私は中学生のころ、この本を図書館で借りて読んで、戦争のこと、家族のこと、進む道のこと、などを

考えさせられ、自分を見つめるきっかけとなったのを覚えています。

手もとに無かったので、探して買って再読したのは20年も前でしょうか。

そしてまた今年読んで、この本をぜひ中学生に読んで欲しいなとあらためて思いました。

 

『あのころはフリードリヒがいた』は息子の中学時代、学芸会で劇を見て知りました。

ドイツ国内でナチスが勢力を増し、普通に暮らしていた、

同じアパートに住むなかよしのフリードリヒの一家が、ユダヤ人であるというだけで迫害され、

親もなくして、フリードリヒは戦火の中防空待避所に入れてもらえず町の片隅で死ぬ。

その中で主人公の一家はこれもまた行き伸びるため、父さんはナチスに入党し、

『ぼく』もドイツ少年団に入っていきます。

 

『ぼくたちもそこにいた』では『ぼく』がドイツ少年団に入り、ヒトラーユーゲントに入っていく。

そうするしかドイツの少年は社会で生きていくことすら難しかったことが克明に描かれています。

 

ハンス・ペーター・リヒターの書いたこの2冊(続編もあるがまだ読んでいない)は、

ドラ・ド・ヨングの『あらしの前』『あらしのあと』より、ずっと読むのが辛い本です。

でもぜひ読んで欲しい。

社会に飲み込まれていくことの恐怖。

言うべき正しいことが言えなくなり、救うべき命が救えなくなる恐怖。

この過去があって平和があること、

そしてまだまだ人々は少しも進歩していなくて、あちこちで戦争が続いていること、

過去の過ちを見つめ続けないかぎり、またいつでもそうなりかねないということ。

戦争はいかん、という当たり前のことを確認しつつ生きていかなくてはならないこと。

平和について考えていきたい。

アトリエ木里でもそういう企画展をいつかは実現させたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

2017.08.18 Friday|-|by アトリエ木里


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